私は自分の人生が好きで、その人生に協力しようがないという人に出くわしても、それは私の人生が価値に乏しいからではない、と捉える思考回路が私の中にあります。
私は、昔ラジオで聞いた、「人は器ではない、ザルだ。」という説が好きです。
何か受け取れないものが自分に近づいてきたとき、
私は器(うつわ)ではないから、
その受け入れがたいものを自分というザルを通過させる形で、
受け止めず、それが進んでいくのを見送る
のが人だ。ザルだ。
また、何かで満たされたい時、
その何かが自分の内面を満たすことを想像するのももちろんオッケー、
ただ私はだいたいザルなので、
ザルごとその何かに浸かる。ざぶんと。
ザルが寒さや不満を和らげたがるんだったら、
何かを自分の中に取り込もうなんて思うはずがないよ、
ザルごと何かに浸かろうとちゃんと思えるよ
浸りすぎないように、自分で微調整もするかもしれないね。
といったラジオ放送でした。
仏法はお嫌いか。
ラジオで夕方荒川きょうけいの後にやっている、
聞き手に消化不良を起こさせる昔話、知ってる?
あれ、創価学会プレゼンツだろうか。
創価のかたたちは、読書や物語に力を入れているのを
よく見かけますので。
今から、都築響一さんに、柴田DVDを送ります。送っていいよと返事をくれたのです。
ドイツでのグループ展の代表の方にも、作品送ります。
ドイツベルリンで、私の小品、物販コーナーに置いてもらえる。
売れないと予想されているけれども、送ってみましょう。